ミニマリストの性格|INFJの私が、自分を後回しにしない暮らしを見つけるまで

窓の外を静かに濡らす雨を眺めながら、ふと思うことがあります。
「どうして私は、こんなに人のことばかり考えてしまうのだろう」と。
世のなかには、自分のことよりも、誰かの気持ちを優先して動くことが、ごく自然にできてしまう人がいます。かつての私も、まさにそんな一人でした。
誰かの役に立ちたい。喜んでもらいたい。
その純粋な願いの裏側で、少しずつ自分の心が擦り切れていくことには、ずっと気づかない振りをしていたのです。
誰かの役に立つことが、何より好きだった
幼い頃から、周囲の空気の変化にとても敏感な子どもでした。
家族のちょっとした表情の曇りや、友人の小さなため息。言葉にされない「寂しさ」や「困りごと」が、まるで自分のことのように心に流れ込んできてしまうのです。
大人になり、育児や家事、そしてブログを通じて読者様と関わるようになってからも、その性質は変わりませんでした。
「どうすれば、この人は笑顔になってくれるかしら」
「どんな言葉を届ければ、安心して一歩を踏み出せるだろう」
相手の喜ぶ顔が見たい一心で、自分の持てる時間とエネルギーのすべてを、お洋服を仕立てるように、細やかに注ぎ込む日々。誰かの役に立てているという実感は、確かに私を突き動かす、何よりの原動力でもありました。
自分のことは、ずっと後回しだった
けれど、どんなに豊かな泉であっても、水を汲み出し続ければ、いつかは底を突いてしまいます。
育児に、家事に、仕事。気がつけば私の心は、完全に「空っぽ」になっていました。
ある夕暮れ時、玄関でふと足を止めたときのことです。
そこに、少し乱雑に置かれた家族の、揃っていない靴が見えました。いつもなら「あらあら」と微笑みながら揃えられるはずの、愛おしい家族の気配。
なのにその日は、なぜか大粒の涙がポロポロと、足元にこぼれ落ちてしまったのです。
真っ暗な道を、たった一人で歩いているような心地でした。
先の未来が、どうしても想像できない。その時お医者様から告げられた「適応障害」という名前は、頑張りすぎて、自分を完全に置き去りにしてしまった私の、心が上げた悲鳴そのものでした。
他人の海に深く溺れて、自分を見失っていたのだと思います。
「まず自分を満たしていい」という、最初の一歩
そんな生きづらさに、そっと名前をくれたのが「INFJ(提唱者型)」という、自己分析のための参考書のような言葉でした。
理想と現実のギャップに苦しみやすいこと。
他人に共感しすぎて、知らず知らずのうちに自己犠牲に走ってしまうこと。
それは私のわがままでも、心の弱さでもなく、ただそういう性質を持って生まれてきただけなのだ、と。
「あぁ、だから私は、一般的なミニマリストのようになれなくて苦しかったのだ」
そう思った瞬間、
長い間、胸の奥で固く結ばれていた違和感が、
ふっとほどけていきました。
パズルの一片がピタリとはまるように、腑に落ちたのを覚えています。
誰かの「正解」に合わせて、無理に自分を削る必要はなかったのですね。私はその日を境に、SNSのような賑やかな場所からそっと距離を置き、ハウツーを発信するブログを手放しました。誰かの「好き」ではなく、自分の「好き」を主役にして書こう。そう決めたとき、ようやく胸いっぱいに、深く心地よい呼吸ができるようになりました。
私を救ってくれたのは、手帳を開く、ささやかなアナログの時間です。
取り留めのない日々の感情を書き留めたり、
これからのエッセイのテーマを考えたり。
誰の役にも立っていない、
けれど私だけの、
静かな余白の時間。
ある日、散歩の途中でふと足を止めると、道端に青い露草(つゆくさ)が咲いていました。
激しい雨に打たれても、負けずにしゃんと背筋を伸ばして、凛と佇んでいるその姿。
「私も、こんな風に自分の足で、私のペースで立っていたい」
お気に入りのマグカップに温かい紅茶を淹れること。ページをめくる、静かな読書の時間。
そんな小さな「ご自愛」を重ねるうちに、私の空っぽだった器に、少しずつ、少しずつ、新しい温かな水が満ちていくのを感じました。
人助けと、自分を救うこと
他人に共感し、誰かを助けたいと願う優しい性質は、決して手放すべき欠点ではありません。それは、神様がくれた大切なギフトなのだと、今は愛おしく思っています。
ただ、順番を、ほんの少し変えるだけでよかったのです。
まず、自分を一番に救ってあげること。
自分の器を、ご自愛の湯気でいっぱいに満たしてあげること。
そうして自分をきちんと整えてあげてこそ、初めて、その溢れ出た優しい雫を、無理なく大切な誰かへと手渡すことができる。人助けと自分を救うことは、相反するものではなく、ひとつの美しい円のように、繋がっているのです。
答えを探して、自分を減らしすぎる必要はありません。
物の数も、心の整え方も、あなただけの「安心」を、どうかゆっくりと見つけていってくださいね。
おわりに
今、もしも「誰かのために頑張りすぎて、心が空っぽになってしまった」と、静かに疲れている方がいたなら。
今日はどうぞ、誰かのためではなく、あなた自身のために、温かい飲み物を一杯、淹れてみてください。
その小さな湯気の向こうに、あなただけの優しい余白が、どうか見つかりますように。

今夜はどうぞ、ご自分をたくさん労ってあげてくださいね
皆さまと私に、心地よい明日が訪れますように


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