一人目を産んだ後、慣れないことだらけで「うつ」になりかけました。
育児に、仕事に、家事にいっぱいいっぱいでした。
そのときに出会って救われた「言葉の処方箋」、それが今回のテーマです。
はじめに
ママ一年生から効く言葉の処方箋
1、『今日』(伊藤比呂美訳)
『今日』 (伊藤比呂美訳)
今日、わたしはお皿を洗わなかった
ベッドはぐちゃぐちゃ
浸けといたおむつは
だんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが
床の上からわたしを見ている
窓ガラスはよごれすぎてアートみたい
雨が降るまでこのままだとおもう人に見られたら
なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか
今日一日、何をしてたの?とかわたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣きやむまで、ずっとだっこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅうっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えたほんとにいったい一日何をしていたのかな
たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
でもこう考えれば、いいんじゃない?今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことをしていたんだってそしてもし、そっちのほうがほんとなら、
出典:今日(伊藤比呂美 訳)
わたしはちゃーんとやったわけだ
この詩をはじめて見たときに涙が出ました。
長女はよく寝るタイプの赤ちゃんではなく、夜間は5〜10回以上の頻回授乳で大変でした。
肌はストレスでボロボロ、寝不足で目の下に隈ができて、髪は手入れが足りずにボサボサのひどい状態でした。
でも、こどもが元気で生きていてくれるなら、それだけでいいんです。
そんな当たり前の「当たり前じゃない大切なこと」を教えてくれる詩です。
今でもときどき読んで、当時のことを思い出しながら、昔の自分にエールを送っています。
2、『私と小鳥と鈴と』(金子みすゞ作)
『私と小鳥と鈴と』(金子みすゞ作)
私が両手を広げても
お空はちっとも飛べないが飛べる小鳥は私のように
地べたを早くは走れない私が体をゆすっても
きれいな音は出ないけれどあの鳴る鈴は私のように
たくさんな歌は知らないよ鈴と小鳥と それから私
出典:私と小鳥と鈴と(金子みすゞ作)
みんな違って みんないい
Eテレの「にほんごであそぼ」で、この詩を曲にしたものが流れていました。
当時は仕事に復帰したばかりで、保育園が始まり、慣れない生活に四苦八苦していました。
保育園のママ達も、SNSのママ達も、みんなキラキラして見えて苦しかったです。
そんなときに出会ったこの詩は、「私は私でいい」というシンプルなことを教えてくれました。
ママ達も白鳥のように軽やかに優雅に見えても、きっと水面下ではバタ足しているのだと思います。
私は他のママ達とは違う。こどもも他の子とは違う。「みんな違ってみんないい」のです。
3、あなたのことが だいすき(えがしら みちこ 著)
家なんて もっと汚くてもよかった
出典:あなたのことが だいすき(えがしら みちこ 著)
洗濯物も ためちゃえばよかった
家事なんて 全部あとまわしにしたらよかった
もったいないこと しちゃった
だって あんな時間は もう二度とない
えがしらみちこさんは、故郷の静岡出身の絵本作家さんです。
実家の近くの本屋さんで、えがしらみちこさんコーナーがありました。
たまたま手に取った本が心にじんわり響いて、気がついたら買っていました。
次女が生まれた後、慣れているからと次女が寝ている間に、洗濯物や家事を一生懸命こなしていました。
でも、そんなこと後回しにして、寝顔を見つめながら一緒に寝転んでいれば良かった。
「ミニマリストだからって家がきれいじゃなくてもいい、汚くてもいいんだよ」ってあの頃の私に言いたいです。
おわりに
赤ちゃんと言葉が通じない苦しさは、赤ちゃんが言葉を理解するようになったら、少し楽になります。
こどもが歩き始めて、おんぶや抱っこが少なくなったら、身体も楽になります。
こどもが年少さんになって、自分でできることが増えたら、気持ちも楽になります。
「何もできない日」は、少しの間だけです。心配しなくて大丈夫です。